ジャッジする、される

私は子供の頃から
母親に「わがままな子」
…と、よく言われていました

これ、すごーく嫌でした
なので、私が反発すると、母は
ほら、わがまま!と重ねてきました

そして近年、母は
私のことを「わがままを言わない」
「忍耐強い」と、言います

私は、特に
何かを変えたつもりも
変わった覚えもないけれど

私も母も、互いに
見えているものや
持っている価値観等が
変わったんでしょう

そもそも、ジャッジする時
誰かや何かのすべてをわかった上で
ジャッジできる人はいません

すべてわかっている人なんて
古今東西、どこにもいない

たまたま見えたり、聞こえたこと
限定された情報をもとに

その時の自分の価値観で
独断しているだけ

判断のもとになる
情報か、価値観が変われば
ジャッジも、ころっと変わります

そんなモノだから
自分がしたジャッジも
他者にされたジャッジにも
振り回されなくて、いいのです

ジャッジされている
ジャッジしていると、気づいても

今のこの人には、今の私は
そんな感じに見えてるんだなぁ

今の私にとっては
こんなふうに感じるんだなぁ

そんな受けとめ方をし
参考になるところは、参考にする
そんな感じでいいんじゃないかな

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